北八のヒーロー『佐々木R先生(仮名)』が自ら書き上げてくださいました4コマ漫画です!続きはこちら>>
〒981-0933
仙台市青葉区柏木3-5-14
TEL:022-271-6028
さて今回は特にこの「ちもい」という言葉の語源あたりからご説明致したいと思います。この「ちもい」は、実は「仙台○業高校の野球部」から歴史的に受け継がれて参りました言葉でありまして、要するに、一般的概念で申し上げれば、「変わった人」であり、箇条書きにまとめて見ますと・・・
この他にも・・・遠慮が極端に嫌いで図々しく、何事に対しても変な自信を持っていて・・・まぁ要するに、、まぁ~
どこの会社や学校など人が三十人から四十人もいれば必ずその中に一人や二人は該当する!!人物像であり、行動やパターンのことを指す訳ではありません。
ですからこういった人物とお付き合いをしていますと、かなりこちらの方が精神的に疲れることは多いのが実情でありまして、まぁ言うなれば非常に手のかかる人である・・・とも言えるのではないでしょうか?でも慣れてきますとは実に面白く味のある人物である事も解かってくるのはなぜなのでしょうか?
(☆この条件はあくまで統計をとった結果該当者が多かったという調査結果にすぎません。…あまり真に受けすぎないようお願い申しあげます。)
きくところにヨリマスト、R先生が仙台市M小学校に入学したときの出来事なのですが、入学式が終わった日からどんぴしゃの1週間、家に帰る途中、毎日同じ時間に、毎日同じ場所で転倒したのだそうです。
そして、何回も何回も同じ場所をスリむいたもので、左足の膝小僧には今現在、30年も経ったというのにクッキリとそのすりむきキズが残っているのです。
(なんで毎日1週間もの間転んだんでしょうね?イヤなら通学路を変えるとか何か手はあったと思うのですが…。)
(人伝いに聞いた話なんですケド…何でもあくまでこれは噂なんだそうですガ!M小近くに奉られている「道祖神」??かなにかにオシッコ!をひっかけた男の子がいたそうで、それも近所のオバチャンに見つかって注意をされるまで毎日それも偶然ながら1週間程やった子がいたソーデス!!見つけたオバチャによりますと…鼻が大きくて、目が少し離れており、ケツが小さい男の子ダッタということデス!ハイ!)ダレのことヤネン??
きくところにヨリマスト、R先生が仙台市立M中学校に通学していたときのできごとなのですが、三年生に上がるときか、高校に進学する直前かは、定かではありませんが、もうそんな幼い時期でですねナナナント『T地方の水子地蔵寺』に参拝に出かけて一泊してきたのデス!!!!!
なにゆえに、水子地蔵寺などに参拝したかは、皆さんのご想像にお任せすることにしますが、一緒に行った方のお話をきくところによりますと、ご住職の講話にR先生はいたく心を打たれたのかハンカチを手放せなくなり、終始うつむいて感涙にムセていた…とのこと…(どうしてなのでしょうネ?????)
きくところによりますと、高校生時代のR先生は『チモク』も○田○作氏の青春ドラマにドップリと漬かりこんでおりまして、いうなれば『怒れ!男だ!』とか『俺は男だ!』などの熱狂的なファンでありました。
このへんを皆さん頭に入れておいてこに話を聞いていただきたい!!
高校二年生のムセかえるような暑い夏の日…R先生は以前から少し仲良くしていた市内の某女子高の女性をクドキ落とすために松島のK島にお誘いしたのだそーです!R先生曰く、『なんか今ガンバレばこの娘はオレの彼女になってくれるカモ…』という淡い期待を持って出かけたのだそうですが、そこは純なるR先生で、ナカナカ言い出せなかったのだそうです。相手もそこはサルものなにがしかは期待しているものでありましょうから、なかなか何も言わないものですから、トサカに(アタマに)きたらしく段々と気まずくなってきてしまったのだそーです。
この気まずい状態をなんとか抜け出そう!と起死回生の一発を思いついたR先生は、口で言えないなら態度で示そう!!ということで…
いきなり夕暮れの砂浜を、一人で猛ダッシュしまして、太陽に向かって『バカヤロー!!!』とやった訳なんですワ!!
『これは決まった!』と一人で心中でつぶやいた、直後!!彼女のほうを振り向いた先生は『絶句!!』ナント彼女は全然こちらを向いていないばかりか、反対方向に歩いてもう歩き出している途中だったのです!
きくところによりますと、R先生が初めて女の人とおデートしたのは高校一年の秋…ロマンティックな香りが漂う朝!?のことだったソーデス!
なんでも、日本テレビ系列で主催しておりました『高校○クイズ選手権』とかいう番組の予選に、輝く『仙台○高剣道部』として出場したソーなのですが、見事に一発で落ちたのだそうです。
その帰り道、真っ直ぐ学校の道場に帰ればいいのに、R先生をはじめとする悪ガキ軍団は、真面目に帰って先輩たちにシゴかれるよりも、おんニャの子をナンパしてアソボー!!ということになったのだそうです。
その矢先、調度にも宮城○女高の女の子たちがいたものですから、もうそこは{渡りに船}というか{飛んで火に入る夏の虫}の世界で、即ナンパに成功したんだって☆そしてボーリングなんかを楽しんだ後、R先生はその中の一人のおんニャの子と清くも『文通』をすることに成功したんだそうです。
クサく、せこ~い文通を何回か交わした頃、ムラムラと湧き上がってくる『是非にも会いたい!!!!』という衝動に駆られたR先生は男らしくも、やはり『手紙』でおデートにお誘いして、朝の8時に仙台駅前のぺデステリアンデッキの伊達政宗像の前(通称伊達前)で待ち合わせしたところ、みみみ見事に彼女が来てくれたんだそうです!
秋も10月の朝と言えば寒くなってくるのに、駅前のペデステリアンデッキのベンチで、温かい缶コーヒーのひとつもなく、R先生はあまりの緊張感と不慣れのせいで、何を話したらいいのかわからないままに、な・な・なんと北八の院長譲りの『ユダヤの問題』と『ロックフェラーの問題』それとR先生がその当時ご愛読だった大山マ○タツ著の『空手バカ一代』について延々一時間ほど熱弁をふるったのだそーです。
その結果は?というと…その彼女はもう二度と会ってはもらえず、手紙もR先生の家のポストに入ることはなかったのだソーデス!!
(神の声:高校一年の初めて会う女の子にイキナリユダヤとか空手バカ一代はネーヨナ~ 残念なハナシふられてもとーぜん、といえばとーぜん・・カナ?)
きくところによりますと、R先生は前の事件の直後、今度は近場で間に合わせることを考えました…本人曰く「中学の頃からアイツはイイ女だ!必ずモノにしてヤル!」と思っていた、同じ通学路を通るA子さんに、今度は照準を合わせたのデシタ…
中学の卒業アルバムの住所欄から彼女の家の住所を引き出して、心の奥にしまい込んでいた、熱いアツい暑苦しい程の情熱を注ぎ込んだ、ヤハリ手慣れた『手紙』で告白し、おデートにお誘いしたR先生だったのですが、そのおデートの当日、今度は余り早く待ち合わせしてサテンとかがやっていないとヤバいので、前と同じテツを二度と踏むまい!!ということで、今度は午後の3時か4時頃に一方的に約束して、その日を待ったのですが…
ナナナント、今回はギッチリとおめかしをして、それでは出かけヨーカナ…というほんの矢先に、玄関前で『キキッ』とバイクの止まる音を聞いて外に出てみると、オォ~!!彼女からの手紙が舞い込んでいたのデシタ!!!はやる心を押さえつつも期待に胸膨らませいざ!封書を開けてみると、、、
『ゴメンナサイ。行けません。』 (赤い文字で)
とだけ、そっと記されていたんだそうです。
数年後、R先生は偶然にもとあるデパートの花屋さんで働いている彼女を発見したそうで、思わずあの若き日のにがぁ~い思いが込み上げてきたのだそうで。奇しくも昼飯時だったので、デパ地下へ向かいそこで頼んだ『天ドン』に、思いをぶつけながらひとりモクモクとたいらげたのだそうです。さぞやオモイ天丼だったでショーネ!
それは数年前のこと…R先生は院長先生の娘さんのAちゃんに、「R先生!トランプしよう!」と誘われて、当時のスタッフ数名と、ワイワイババぬきを始めました。
1枚ずつ、Aちゃんが皆にトランプを配り始めました。皆は誰にババがいくのか?とドキドキでした。期待どおり、ナント最初の1枚目からババをもらってしまったのがR先生でした。
カードが4枚目、5枚目と渡されているとき、R先生があせったように叫びました。「えっ!何このカード、何この{トッチー}!!ババ、ちゃんと1枚ぬいたの?」
…そこでAちゃんが一言、「それ、裏だよ。」
あせったためにちもさが発揮されてしまった、大変楽しい、たのち(も)いババぬきでした☆
北八接骨院は平成八年の11月1日に新装オープンしたのですが、5月の中旬頃から母屋の解体がスタートし、皆々様方に駐車場のスペース云々で多大なるご迷惑をおかけしていたものでした…従いましてお客様の車の出し入れを私たち従業員がお手伝いするのも当然と言えば当然だったのであります。
そんなある日…もう何十回も[お客様の大切なる自家用車を移動する]という行為に対しましてはもう完璧までの自信と確信を持って行っておりましたR先生が、このような基本的な小さな(おおきな)ミスを犯した一コマの出来事です!!
あるお客様のI氏のお車…外車でかの有名な[ベ○ツ]でありました!!当然のようにこの方の場合には[??側]にハンドルがついておりました。
R先生はI氏に[ハリ]を通電していた最中に車の移動を頼まれたものですからカギを受け取ると「左ハンドル~左ハンドル~!」を口ずさみながら車に向かったのでした。キーを差し込んでドアを開けた瞬間…そこにはハンドルもコックピットも存在し得なかったのです!!何故ならば…左側のドアを開けるハズだったのがナナナント借りたキーで右側のドアを開けてしまったからなのでした。
左手でハシは持てないだろうにネェ~!!
一般的に申しあげまして土曜日というのは大概の開業医の先生の所では午後二時頃までの受け付けであろう?と思うのですが、今回はこの辺が大きなミソになりますのでドーゾお忘れなきようにお願い申し上げる所存でございます。
仙台市K区にお住まいのY夫人…とても清楚でスラリとしたお美しい方デス!そのY夫人、体調を崩されましてお近くの[○の○○○○クリニック]に行かれたのだそうです。小さなお子さんと3歳くらいのお嬢さんがいるY夫人…病院では「肺炎の疑いがあるので即入院をお勧めします!」と診断されたのだそうです。
体調が悪く夜になると毎晩38℃からひどい時は39℃以上にも発熱されるそうで、夫人曰く「入院はしても構わないのですが、子供たちを見てくれる方がいないので、何か入院しなくてもすむ方法がないものかしら??」
という訳で当北八接骨院に相談に御来院されたのが丁度土曜日の午後1時15分頃でしたでしょうか?
私の知り合いの内科のお医者さんが花壇にいたもので早速電話をしてみたのですが折り合い悪く結婚式に呼ばれており、出る直前であるというのでまたまた他のドクターを紹介していただいたのでした。
「I区の救急診療所か、T病院かK町の{きむら}医院!(仮)」
ということでしたので、Y夫人は極力近くのきむら医院に頼むことにしたのでした。…ここからが真打ちR先生の登場デス!!
北八に、その場に居合わせていた他の患者さん達も「きむら医院の先生は評判いいから行ったらいいわよ!」などとお話をいただいていたので当然R先生の耳にもその会話は届いていたハズなのでありました。その時の時間は1時40分を指していました。
「私、電話帳ひくの得意なんですよ!昔なんかは、女の子の家に電話をするとき皆がこまっているとき、私がその子の父親の名前がわからなくても住所とかですぐに見つけて皆に感謝されたことが何回もあったんですから任せてください!木村医院ですよね!」
そういうとR先生は必至の形相で電話帳…タウ○ページとにらめっこを開始したのでした。…………出てこないんですヨネェ~!![K町のきむら医院]なんてすぐに出てきそうなものなんですけど、5分たっても10分たっても20分たっても出てきません…。
「木村医院ってない!ですよ!!私が探してないのですからこれはない!デスネ!!」R先生は変な意味で胸を張っている様子でした…そこで私(院長)「ちょっと貸してみて…」タウ○ページを受け取って見てみましたらそこには確かに[K町のきむら医院]と書かれてあり電話番号もすぐさま見つかったのは当然の成り行きでした。
それで収まらなかったのはR先生です!!「えぇ!!何でひらがなで[きむら]なんですか!何で最初に[K町]なんて書いてあるんですか!オレ、電話帳破り捨てたくなりましたよ!!」(Y夫人が病院に自分のチモのおかげで、きむら病院に行けなくなったことなどスッカリ忘れて)怒りに怒っているのでした…言い訳を聞いてみますと「きむらは完全に木村医院である!」と決めつけていたもので他の患者さん達の先ほどのささやきはちょっとも耳に入ってはいなかったものと思われるのでした。
ほうほうの体で電話番号を捜し出して電話を掛けてはみたのですがもう二時はとっくに過ぎており、受付は叶わなかったのでした…皆さんこんなにも空しいことってあるんですネェ~!このY夫人落ち込んじゃってフォローするのに私一苦労致しました。結局は知り合いの漢方薬の専門薬局に紹介して調合してもらって土日の二日間は乗り切って月曜日に別な医院に行ったのでした。
数年前の10月…私の幼友達でありましたS氏が海外の単身赴任先で亡くなりました。まだ幼いお子さん二人を残して旅立ったのでどんなにも心残りでありましたでしょうか、ご冥福をお祈りいたしたいと思います。
私の家にこの友人の奥方様よりご逝去の通知が届いたのは確か11月に入ってからだったと思いますその通知が届いた日の翌朝の事です!!(その当時はまだ北八接骨院が新装オープン前だった為父も母も私の家で同居中だったんです。)
朝5時半頃の事だそうで母がふと目を覚ましてまだウトウトとしていた時…リビングと寝床を区切っておりますフスマがガラリ!!と急に開いて、見たこともないメガネを掛けて黒い服を着た男の人が立っていたのだソーデス!『アレ!この人誰だろう??』そう思っているうちにその男性はスゥ~ッと消えて行き、フスマは開いたきりだったのだそうです。(イヤ~ッ鳥肌の立つ話デスネェ~!!)
そして元副院長は再び睡眠に入ろう…としたときに今度は思いがけない人が夢枕に立ったのだソーデス!!!! やはりスーパースターという人種は私のような凡人とは、およそ掛け離れた行動もできるんだなァ~…と感心しきりだったのですが、ナントR先生が生きながらにして夢枕に立ったのだそうです!!それも以前まで着用していた青い治療服姿で、新しい接骨院の駐車場から自動ドアに駆け込もうとしている情景が目に見えたのだそうですが、普段であればドアがスンナリ開いて玄関に入るところが、ドアが開かなかったものだから額をドアにぶつけて右手でさすりながら『アタタタタァ!』と言いながら入ってきたのだそうです。
もう元副院長先生も余りのチモさにおかしくなってしまい眠気もすっかりと吹っ飛んでしまったのでした。
(やはり、一芸に秀でている方というのは常識の内には入らないほどのスケールをおもちなんでしょーネ!イヤーッ参りました☆)
(コチラはR先生が小さい頃に体験したあまりに突然で衝撃的なオハナシなので、大人編よりみぢかめにお教えしますネ☆)
それははるか昔…ズーット前!の、R先生がまだ5歳のころ、緑が生い茂る夏のこと。家の近くの住宅地を、のんびりオサンポをしていた幼い頃のRくん。一件のお宅の前の、?垣根のかきねの曲がり角~♪にさしかかった・・・と・その時!!垣根の茂みの中から突然犬が飛び出してきたと思った瞬間!
ガブリッ!
Rくんの足に噛みついたのdesth!「イテテテテ~!!!!!」すぐさま母君が病院へ…!とおもいきやその犬なかなか噛みついたまま離しません!茂みから頭を出し噛みつく犬!垣根に片足を潜らせ、不自然な体勢で痛がるRくん!数分後、ようやく母君に引き離され、急いで病院へ! 大事にはいたらずその後スグ完治したソーデス。
のちにわかった事ですが、その犬は垣根の家の飼い犬で、チャーンとチェーンにつながれてたらしいんデス!
ただチェーンが長すぎて垣根までとどいてしまえたんですね!!そういうわけで茂みの向こう側でガサガサと葉音を立てて歩いていたRくんをエモノと思ったのデショーカ・・・跳びついちゃったんですネェ・・。
犬にかまれた幼いR先生。大人になってからのある夏のお盆のできごとデス!院長先生の家族とR先生のご家族で[○島]にチョッとした旅行へ出かけたのでした。昼間は海岸で泳ぎ夕食を済ませた後、お腹休めに窓辺で一服していると、ノラネコの親子がいたんだソーデス。動物好きのR先生はその2匹の親ネコと3匹の子ネコに夕食のおかずの余りの焼き魚の切れはしを人差し指に乗せて差し出したのデシタ…次の瞬間…
ガブッ!!
とネコが魚と指まるごと噛みついたのです!ところが人間ができている(??)R先生ここで少しも慌てず、ネコが口をあけるまで痛いのに耐えそして指を引いたのでした。指にはクッキリと歯形が残っています。なんと心優しくチモイR先生なのでしょう!
二度あることは・・・とはよく言われますが…まさか次はナイデスヨネェ~?
(ここまでくるとナントなーく話が読まれてしまいそうですがあせらずに読んでクダサイネ!)
ある年9月の末頃か10月の上旬のころだったと思んます。チョ―ドその頃R先生と院長先生は『ヒラメ』
を釣る目的で海に向かったのでした。エサは生きたイワシをバケツ単位で買うのですが、その時は二つ分くらい買ったのでしょうか…その中にチョッピリ生意気な『ヤリイカ』の子供が一匹入っていたのです…『ヒラメ』はご存じの通り一日中釣ってはいても早々釣れる代物ではないので、結構ヒマになるんですネ!
その時デシた!
やめればいいのにR先生はその生意気な『ヤリイカ』の子を網ですくって手に乗せて遊び始めたのでした。水の中にいてこそのイカです!それを人間の身勝手でアミですくい上げられたあげくに掌の中で遊ばれる訳ですからイカとしてもたまったものではなかったのでしょう!!
≪ガブリ!!≫ 「イテテテテテ!!!」
R先生の人差し指に絡みついた次の瞬間、思い切りそれこそ命を懸けて噛みついたのでした!大慌てのR先生。遊んでいたペット?であるはずのイカをおもいっきりひっぺがして噛まれた指をみてみたら、くっきりとイカの歯形が残っておりました・・・。
さすが大御所!!期待を裏切らなかったデスネ!!
これはチョイと北八では殿堂入りもののチモイオハナシです・・ある日、院長先生とR先生で飲みに行った日の帰りに起きた事件です。
仕事が終わって、院長とR先生は「ちょっとお腹が空いたから食事に行こう!」と和食料理屋へ行きました。料理もなかなかおいしく、R先生はお酒もちょっぴり入ったところで、気分良く帰ることにしたのです。院長先生の車を停めていた所が、とある立体駐車場で、そこはターンテーブルのある駐車場だったんですね!
私が車を出そうと駐車場の中からバックして出てきました。係員の人が「もっとバック、バーック!!」と
立体駐車場から外に出たところにあるターンテーブルまで誘導し、言われた通り院長は車をバックさせました。
すると急いで車に乗り込もうとターンテーブルの上に立っていたR先生の方から変な声が・・・
「いてててて!」 なんとR先生の足がバックしてきた院長先生の車のタイヤに挟まれて数秒間抜けなくなってしまったのです!!そしてそのままの状態でターンテーブルが回転!!それはまるで新車発表の車の側でたたずむキャンペーンガールさながらの光景だったとか・・・。
次の日、接骨院でこのはなしをしたところ、大ヒット!!しかし誰からも「大丈夫?」の声はなかったのでした・・・。
ある日のR先生は、従業員のお昼ごはんを作ることになり、カレーにする事にしました。豚コマにニンジン、じゃがいも、玉ねぎ、ルウには【ジャ○カレー】を用意し、早速作り始めました。
さてさてお昼時。仕事が一段落し、お昼休みだー!と他の従業員が食事場にやってきて、R先生の特製カレーをいただきまーす!!・・・一口・・二口・・・んっ!?なんだこりゃー、しょっぱいぞ!!辛いのはわかりますが、なんとしょっぱいカレーだったのです。水を普通の倍は飲まないととても食べられません。こうしてお昼のカレーは評判いまいちに幕をおろした(フタを閉じた)のデシタ・・・
翌日、一晩寝かせたカレーはおいしくなるのが一般的ですが、そのカレーは多量に残っているのに誰も手をつける事がありません…。
どう処分するのかと思いきや、R先生はそのカレーに水を加えてカレースープにしてみんなに食べてもらおう!と再チャレンジに挑んだのです!!なかなかしぶといR先生!!「何度でも復活させるゾンビカレーなのです!!」なんだとか。そしてお昼にリメイクしたカレースープをいただくと、今度は焦げ臭いのです。かき混ぜるとガキガキガキとお玉がひっかかるほど、鍋の底が焦げ付いていました。飲んだ人が思わず「ヴぇぇぇ~」とうなり声をあげたため、さすがにねばったR先生も捨てないわけにはいかなくなったのでした。ゾンビカレーは復活せず、全滅したのでした…
・・・その数日後、R先生は「よしっ!今度こそは!」とはりきって、今度は最初からカレースープで挑もうと、料理にとりかかったのです!!なんとお昼当番を自らかってでて!
そうして出来上がったスープカレーをいただいてみると、味がないんですよ。前回作ったカレーがあまりにもしょっぱくて皆さんに不評だったために、今度は注意しようと意識しすぎて味が薄くなってしまったのです。とても極端なR先生ですネ!
R先生とR先生の奥様(R夫人)の、ある日起こったチモ話デス・・・とあるお通夜に行ったR先生夫妻。その帰り道の事デシタ。お腹の空いたお二人はファミリーレストランで二人そろって【ハンバーグランチ】を食べて帰ったのでした。
そして家に入る前、R先生はR夫人に「お清めの塩と水を用意して!」と頼んだのだそうですが、その時R夫人が用意したモノというのが、ナナナナント塩の顔した真っ白な砂糖だったのです!!
砂糖でお祓いをしたR先生。とある日曜日、今度はこの砂糖で一つの事件があったのデス!
大手製パン会社【ヤ○ザキ】が出している商品に【シュガーバタートースト】というものがあるんですが、これをR先生はR夫人に作ってもらったのだソーデス。一口ほおばった瞬間≪ジャリッ≫ ッ!?
「なんじゃァこりゃぁぁぁ!!」 砂糖と思った白いモノは、ナント塩だったのでした・・・。